うらおそいよりしよりに~【特別寄稿③ 尚本家第23代当主 尚衞】

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皆さま、こんにちは。
今回は『浦添ようどれ』尚寧王の御清明祭のお話しの前に、喜びのご報告を申し上げます。
5月20日、地域の有形、無形文化をテーマに魅力を発信する「日本遺産」に「琉球王国時代から連綿と続く沖縄の伝統的な『琉球料理』と『泡盛』そして『琉球芸能』」が認定されました。
琉球王国時代からの独自性の文化を認めて頂き、とても嬉しく思います。ご尽力頂きました皆様方に厚く感謝を申し上げます。

さて、『浦添ようどれ』の東室には第二尚氏王統、第七代国王尚寧王と王妃阿応理屋恵、尚寧王の祖父君、御父君、御兄弟方がお眠りになっておられます。
先代の第6代国王尚永王は30歳という若さで薨去なされたので、嗣子が無く尚永王の王女阿応理屋恵真銭金の夫尚寧が浦添から上がり、26歳の時に王位に就きました。

尚永王には一つ違いの異母弟の尚久もおりましたが、尚久は即位されず、浦添から尚宣威王の子孫である尚寧が赴き即位された、その理由は解らないままです。
尚寧王は即位後、信頼する弟の尚宏を摂政に任命し、政権の安定を目指します。また、浦添から首里までの道を整備したり、西原間と首里の境にある平良川に石造のアーチの太平橋を築き、交通の利便性を向上し故郷浦添の為に一大事業を成し遂げました。

尚寧王の御世は琉球王国にとって様々な国難があった時代でした。
天正19年、日本の薩摩藩主島津軍に侵攻され、琉球王国は日本に降伏、日本(薩摩藩)と当時の明国と二ヶ国に両属をする事になりました。尚寧王は島津公によって江戸に連行され、2年半の月日を琉球王国以外で過ごす事を余儀なくされました。
尚寧王は常に国の恥を気にされていたと伝わっております。

御清明祭のお供え物

その尚寧王の王陵にて、4月6日御清明祭を執り行いました。地域の方々が大勢お集まり下さり、皆様と共に御参りが叶いましたことは、感慨深く、往時を偲びつつも改めて尚寧王が皆様方に愛されている王様であることを深く感じいたしました。
激動の御世、琉球の独自性を保ち治めるという事は本当に御苦労なされたのだと察するに余りあります。
人間は良くも悪くも争う時があります。

御清明祭のお参り

世界を見渡せば、国家間でも問題を起こし、争う地域がまだ多くございます。
私は自身の経験上、また祖先の歴史からも、願わくは、どの民族間も平和でありますようにと祈念いたしております。
その為、来年は更に良い尚寧王の御清明祭を執り行えたらと思っております。
私の特別寄稿もあと少しとなりました。次は越来の尚宣威王の御清明祭についてお話しさせて頂きたく思います。

筆者・尚衞さんと尚満喜さん

【特別寄稿者筆者】
尚 衞(しょう まもる)
尚本家第23代当主。
1950年生まれ。
玉川大学卒業後、アメリカアラバマ州、サンフォード大学(Samford University in Birmingham Alabama U.S.A)にてMBA取得。
一般社団法人 琉球歴史文化継承振興会の代表理事を務める。

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