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首里城火災から1年経過して【元琉球王族、尚家が語る沖縄への想い】特別寄稿⑨ 尚本家23代当主 尚衞

皆さん、こんにちは。
10月31日で首里城火災から1年が経ちました。
あの日の事は、私は明け方から起床しておりよく覚えております。

私が首里城をきちんと認識致しましたのは、中学2年生の時でした。
先代当主の父より白黒の首里城の写真を見せられ、「これが曾祖父の尚泰王が居城としていた城だ」と教わりました。その写真は東京の尚本家宅に常に飾られておりました。
白黒写真ですので、色をイメージする事が難しいながらも、私の日常の中に首里城の写真は常にありました。

その当時、沖縄はアメリカ合衆国の一州として存在しておりましたので、長く尚本家の者は沖縄への入国許可が下りない時期でもありました。
許可が下りない理由として、尚家直系の末裔として祭り上げられる危惧があったからと言う事でした。
その為、私は長く自ら直系を名乗る事はありませんでした。これには、父である22代当主の心配もあったことは確かで、私が若くして祭り上げられる事を危惧をしたからでもあります。
また、私自身もきちんと尚家直系の重みを認識していなかった為に、父の言うとおりにさせて頂きました。
父が亡くなり、晩年父から指名を受けた為に23代を名乗らせて頂きましたが、今も精進中であります。

アメリカ合衆国の一州の時に、家族旅行として、一度でも沖縄入りをしたいと願いを何度か出し、やっと認められ入国が叶った時のことは忘れられません。
さまざまを乗り越え、首里城の地を家族で踏んだ時は、何とも言えない気持ちになりました。建物は琉球大学になっておりましたので、かつて首里城がここに存在していた。
またここが私の故郷か、と想いを馳せた次第でございます。
慎重を心掛けた父は、周りの者と一定の距離を置いており、信頼をした方のみと仲良くしていた為、首里城復元資料なども、尚本家からお渡しするには時間がかかりました。当時の復元に携わった方はご苦労もあったかと思います。
私自身も22代当主に考え方が似ているように思います。首里城は2026年に再建予定になりました。
1992年の首里城の復元に尽力して下さった方々、首里城を愛おしく思って下さる全ての方々の真心を引き継ぎながら、沖縄県の未来の為に、新たな首里城として聳え、再び皆様に愛される日が巡りますことを願ってやみません。

尚本家23代当主 尚衞