投稿日:2020.07.13

三線について【元琉球王族、尚家が語る沖縄への想い】

皆さん、こんにちは。
本日は三線についてお話しさせて頂きたく存じます。沖縄は琉球王国時代に「芸」を尊ぶ国として有名でありました。その中で沖縄独特の「三線(さんしん)」という弦楽器があります。
三線は中国福建省で生まれた「三弦」が原型と伝えられ、15世紀後半の第三代尚真王の時代に士族の教養の為に推奨され、独自に発展を遂げました。


舞楽図/沖縄県立博物館・美術館所蔵

 

17世紀には三線製作者である三線打や、三線打を管轄する役人・三線主取という役職が設けられるに至り、清国からの冊封使接遇の為、琉球舞踊とともに男性が奏でる楽器として三線は発展しました。その為、調弦は男性用になっております。

三線と三味線の違いは、三味線はドレミファソラシドの7音階を有しますが、三線はレ”と”ラ”の音階がなく、ドミファソシの5音階で奏でます。三味線は安土桃山時代末期に琉球王国から三線が日本に伝来、それを元に誕生した和楽器です。琉球王国では三線として、日本では三味線として、それぞれ、その土地土地の思いを伝える術として発展しました。

琉球の民は床の間に三線を飾り、日常において平和を願うと言われるくらい芸能が身近にありました。しかし、床の間がある家庭や三線を習える家庭は、琉球の士族などに限られ、一般的に三線を皆弾けたわけではありません。しかし、芸能が生活の一部として身近に感じる機会が多かったようです。

沖縄県に再編される前は、琉球王国でしたが、王国滅後、大和世、第二次世界大戦末期の沖縄戦、アメリカ世と、移り変わりを体験してきたのが沖縄県という場所であります。

その為体験上、切実に平和を願う方々が多くおられ、また県民の方々は優しい心持ちの方が多くいらっしゃいます。
平和とは、人により概念や捉え方が違い表現が難しい部分もございます。

ただ、芸能というのは新しく進化しても、基本は普遍的なものであり、平和を願い唄や舞を舞う事で表現をしていた部分があるように思えます。
若い世代にどの様に伝統芸能を受け継いでもらうか、歴史をどの様に認識し、より良い沖縄県の発展の為に尽力出来るか、今の世を生きる我々に課せられた課題なのかもしれません。

皆さんもぜひ三線の音色を聞き、身近に感じていただけたら嬉しく思います。

 

筆者:尚 満喜(しょうまき)
1984年生まれ。
自由が丘 産能短期大学卒業
神職資格を取得し、現在は東海地方にて神職として神社に奉職しながら一般社団法人 琉球歴史文化継承振興会の副代表理事を務める。

◆一般社団法人 琉球歴史文化継承振興会
https://ryukyu.or.jp