ものづくり特集:琉球漆器に感じる沖縄の心

琉球漆器のお話です

漆器といえば、日本で独自の進化を遂げ、江戸時代には海外では漆器のことを「Japan」と呼ぶほど日本の代表的な伝統工芸。日本では縄文時代の遺跡からも出土されています。
アジア各地に漆器の文化は存在するのですが、沖縄では14世紀ごろの琉球王朝時代から作られています。特徴的なのは琉球漆器独自の加飾技法である「堆錦(ついきん)」による、立体的で南国らしい図案。美しさと実用性を兼ねた、素晴らしい工芸です。しかし、沖縄の漆器産業は徐々に縮小しています。

今回取材させていただいたのは、「角萬漆器」の6代目、嘉手納豪さん。家業を継ぐ前は東京で会社員をされていたとのこと。そんな嘉手納さんの思う、これからの琉球漆器のビジョンを知ることができました。それでは嘉手納さんにインタビューしていきます。

 

角萬漆器のお店のある場所

ゆいレール「美栄橋駅」からすぐ

国際通りのちょうど中間あたりの沖映通りと国道58号線のあいだ、ゆいレール「美栄橋駅」からすぐの場所にあり、1階がショップ、2-3階が工房です。商店街のような通りにあり、緊急事態宣言が明け、夜の飲食店の賑わいが戻ってきて周辺の人通りが増えてきました。お寄りの際におすすめの近くのご飯屋さんは、「我那覇豚肉店」で定食やしゃぶしゃぶ。「まぜ麺マホロバ」はとても人気の台湾まぜそばのお店です。

見学したいという要望も多いのでこれから不定期ですが見学会をやっていこうと思っています。特に琉球漆器独自の技法「堆錦」塗りの体験もしていただく機会を作れたらいいですね。

 

戦後の復興期に、何もないところから再開

那覇市前島に工房を建設

角萬漆器の前身である「嘉手納漆器店」は「ヌイムンカデナー(塗り物の嘉手納)」と呼ばれるほど、沖縄で知られた漆器店でした。戦後昭和23年、4代目の並裕氏は「嘉手納漆器店」を再開しましたが、物資は不足し、漆はおろか木綿のボロ布ですら入手困難で、人々は漆器を買う余裕もなくなかなか売れませんでした。この頃、アメリカ領であり、漆が輸入できず貴重だったため、下地には代用品に豚血を使っていたこともあります。

徐々に料亭から会席膳や吸い物椀などの注文が入り、一般の人々が漆器であるトートーメー(位牌)などを求めてくるように。事業の目処が立ってきたことで事業の拡大を決意し、昭和33年に三代続いた「嘉手納漆器店」を現在の「角萬漆器」に改称し、那覇市前島に工房を建設しました。

その後、昭和47年の本土復帰などを経て琉球漆器の生産高は紅型や焼物をしのぐほど拡大。伝統的な琉球漆器を愚直に作りつづけることを目指した並裕氏は、昭和54年に「現代の名工」として労働大臣賞を受賞し、伝統工芸技能功労者として勲六等瑞宝章を受章しています。これは漆工芸では初めての叙勲でした。

 

漆工芸の職人とは

「挽き物」と「上塗り」作業の様子

漆器作りは分業で、おおまかに分けて3つ「木地」「下地塗りと塗り」「加飾」。「木地」は外部の木地師にお願いしていますが「塗り」と「加飾」は自社の工房で製作しています。それぞれ4、5人くらいの職人が作業していてベテランの方は40年くらい、2年前に入った方もいます。若い職人は沖縄県立芸術大学に初めて漆の学科ができて、そこの1期生で、学校ですでに4年間理論なども勉強されていて心強い存在です。

漆の職人になる方は美術大学で勉強されたか、漆の産地の研修制度で訓練されたり、有名な作家さんのお弟子さんとして働いたりして技術を身につけます。大体はその方の縁のある土地で生業にされる方が多いでしょうか、沖縄で長年塗師を続けている方はウチナンチュが多いですね。
沖縄県内で活動されている漆の作家さんと一緒に琉球漆器を盛り上げて行けたらいいですね。

 

嘉手納豪さんは2021年4月に会社を継いで6代目

2021年4月に会社を継いで6代目の嘉手納豪さん

ちょうど10年前、リーマンショックがあった頃に、それまで東京で勤めていた会社を退職したんです。転職活動をしている中で、親から「角萬漆器のホームページができたから見てみて」と連絡があり、うちの実家はこんな感じで営業していたんだと初めて知りました。その時、この家業を失くしちゃいけないなと、戻ることにしました。

住んでいるところと会社の工房は違う場所だったので、子供の頃から漆器に親しんでいたということもなく、大学では経済を学び、30歳になるその頃まで家業について何も知らずにいたのです。

その後1年間、沖縄県の「工芸技術センター(現:工芸振興センター)」 で研修を受けて技術を学びました。今年の4月に代表に就任するまでの10年間はいろいろ勉強させてもらいながら過ごしました。

将来的に経営をしないといけないことから、経営をする上で最低限知っておかなくてはならないことを意識して技術を学んでいました。「どういう作り方をすれば高くなる、安くなる」という経営者的な目線で、工程を分解し俯瞰して見るようにしていました。作家としての作り方と職人としての作り方はそもそもの目的が違うので、教え方、習い方も変わります。

 

漆を学ぶのに年齢は関係ない

ものづくりは若い頃から技術を身につけて長く続けていかないといけないと思われがちですが、「工芸振興センター」に研修に来る方も5、60代の方が多く、年齢はあまり関係がありません。興味をもたれたら、学ぶところはあちらこちらにあるので門戸は広いと思います。

漆器作りに向いている環境とは

日本では京都より北、輪島塗や、津軽塗りなど寒い地域で作られているイメージが強いですよね。漆の性質は独特で、水分が蒸発する乾燥の仕方と違い、難しい言葉ですが科学的にいうと「酸化重合反応」という、乾燥の仕方をします。この反応に必要なのが温度と湿度と漆の酵素。沖縄の高温多湿な気候は漆がすごく乾きやすいんです。とくに下地は早く乾いた方がいいので漆器制作に沖縄はすごく適しています。

漆を塗るときに、乾燥が速すぎると失敗してしまい(縮み)、ガサガサと波を描くように乾いてしまいます。ゆっくり乾燥させることでツヤっとした綺麗な肌で塗りあがるので漆が採れる寒い地方で漆器が発展しました。

沖縄には漆の木は生息しません。面白い研究結果が出ていて、日本初の漆芸専門の浦添市美術館で琉球王朝時代の漆の塗膜を調べた結果、中国産と日本産どちらの漆も見つかっています。漆が輸入されていた事実を物語っています。

乾燥の様子

琉球漆器の木地

沖縄の県花でもあるデイゴの木などを使っています。日本の木材の中でも一番軽いものです。木は硬いほど歪みやすく、軽いほど歪みにくい。例えば、黒檀や紫檀などの硬い木は歪みやすいので、長い時間をかけて乾燥に乾燥を重ね、動かなくなったものがようやく加工できるのです。

デイゴや桐は軽いので狂いが少なく、桐は箪笥に使われたりしますよね。お箸は硬い方がいいし、銘々皿やお椀はシタマギ(エゴノキ)が向いている。重箱や大型のお盆、菓子器は歪んだらカタついてしまうので軽いデイゴが向いているんです。
琉球漆器では東道盆(とぅんだーぼん)という直径50センチ以上の大型の漆器、食籠(じきろう)という、背の高い丸い漆器は特にデイゴが多いです。最終的な目的にあった木材を使うのです。

東道盆(左)と喰籠(右)

琉球漆器の加飾

お箸ではハイビスカスや花笠、銘々皿の植物の模様、大型のものだと山水絵、龍など、100種類以上、昔からの図案があり、ウェブサイトで紹介しているのは定番の一部の柄です。模様をゼロから作るのは難しいので、既存の模様を組み合わせて新しい柄も作っていきたいなと考えています。どんどん増えても大変なので、少しずつ整理していますが、紙に書かれた図案も紹介できるような、本や手帳、カレンダーなども作れたらいいですね。

さまざまな技法で描かれる伝統的な図案

次のページでは「堆錦(ついきん)」の話から、新しい取り組みのことをお聞きしました。

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