投稿日:2023.02.08

Uchina-アーティシズム#4 漆で魅せる青の世界

「ヒトを通してオキナワを知る」をコンセプトに
オキナワの感性の魅力を発信します。

みなさま、こんにちは。
大学生レポーターのテルヤキエです。

今回は、漆芸家の Fumiya /島袋郁弥 さんをご紹介します。
漆ではあまり見られない特徴的な青色を使った作品が目を惹く、新進気鋭のアーティストです。
作品に込めるテーマ、漆との出会いなど、様々なお話を伺ってきました。

プロフィール画像

–Profile–
Fumiya  /  島袋郁弥
沖縄県読谷村出身
沖縄県立芸術大学 美術工芸学部 卒業
大学に進学後「青blue × 漆urushi」をテーマに、日用品からオブジェなどの幅広い作品制作を手掛ける。
2022年4月には、ホテル アンテルーム那覇にて、自身初の個展「238blue solo exhibition」を開催。
県内各地のグループ展やアートイベント、展示会などに参加し、作品を展示するなど精力的に活動している。
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青が好き、漆との出会い

——–大学に入学するきっかけを教えてください

高校の時にめちゃくちゃ好きな先生に出会って、最初は教師を目指していました。当時は野球もしていたので、体育か美術の先生で迷っている時に、相談した先生が沖縄県立芸術大学のOBで。芸大楽しいよって勧めてくれたんです。美術にたくさん触れた後の延長線上に先生になれるという選択肢があるのがイイなと思いました。モノづくりをしたかった自分にとってすごく魅力的だったし、専門的に学ぶ必要があると思って、進学を決めました

——–数ある工芸分野の中から、なぜ、漆を学ぼうと思ったのですか

大学のオープンキャンパスで出会った先生が、漆の可能性が凄いんだって話をしてくれたんです。でも、自分は青が好きだったので、漆といえば黒や赤のイメージだなって考えていたんですが、青もできるよ!と言われて一気に惹かれました。それから、OIST沖縄科学技術大学院大学)でやっていた漆の展示に行った時に、とっても種類の幅が広くて。緑や青、ピンクも?!って驚きました。特に、螺鈿らでんの青い作品がすごく綺麗で、それを見て漆の世界へ行こうと決めたんです

——–なぜ青色が好きなのですか?

なぜかわからないんですけど、小さい頃から青が好きなんです。年子の弟がいるので、色々な物の色分けでよく青だったからなのかな…って思ったりもするんですが、記憶に残っているのは、選んだランドセルの色の名前がマリンブルー?みたいな感じで、すごくカッケー!って思ったところからですかね。所属していた少年野球のチームカラーも青で、文房具とかも、感覚で手に取ってるのは全部青でした

“芸術”と向き合う大学生活

——–芸大に入学して、大変だったことはありますか?

僕は高3の夏まで野球をしていて、一浪して入学したんですが、周りにいる人たちのレベルが高くて、勉強も大変だし、レポートって何?状態で、最初はとにかく大変でした。工芸学部の授業は、最初は絵画やカメラ、彫刻とかデザインとか全般的に触れたあとに工芸に入っていくんですけど、得意なものは得意でも、苦手なものにはやっぱ差がつくんですよね。中高から専門的に美術系を学んできた学生はセンスというか、やり方が上手いなって感じることが多くて、それに心が折れて、辞めようかなって思ったこともあります

——–全く違う環境に身を置くのは簡単なことではないですよね…そこからどのように立ち直ったのでしょうか?

地元の友達や仲の良い同期とか、色々な人に相談しましたね。「どんなに頑張っても周りと比べものにならないくらい下手すぎる…」って(笑)1年生の半ばくらいからはもう何作っても下手だし、自信がなくなって、毎日落ち込んでいて。その時に、「その授業はいつまでも続かないし、次の新しい授業は全然違うかもしれない、今のが苦手なだけじゃない?」って友人に言ってもらえて。もう少し頑張ってみようってやってたら、実際に次の授業はうまくいったり、合う合わないがあるんだってそこから少しずつ持ち直せたというか。その時に、うまくプライドを捨てることができたんだと思います

——–大きな転換期だったのですね

そうですね。浪人しているプライドもあったし、捨てたら捨てたで、まじで要らないプライドだったなって思えた1年生の後半でした。そこからは気持ちが楽になって、自分の作品が好きだと思えるようなものが、いっぱい作れるようになりました

——–現在は教師ではないですが、いずれは先生を目指すのでしょうか?

少し悩みはしたのですが、今はモノを作る方がいいのかなって思っています。せっかくなので教員免許の資格は取ったのですが、2年生の後半くらいから、先生になるのはまだ早いかなって。後々なるとしても、自分が色々なことを経験して、生徒にアドバイスできる幅を増やせたらいいなって思うようになりました。その時期に、バイト先のオーナーさんが学校現場にいなくても教えられることはいっぱいあるよって話をしてくれて、確かにそうだなって。今は色々な経験を積もうという考えになったところから、展示会に出してみたり、自主的に動くようになりましたね

——–やはり、展示会に出品するのは大変なのでしょうか

そうですね…ずっと自信がなかったこともあって、自分の作品がどう見られるんだろうって怖かったです。でも、他の人の作品を見ることで、意外と悔しいとかではなくて、全然別モノだなと感じるようになっていました。前向きな気持ちで展示会などを見に行くようになりましたし、見て感じられない部分もあるから、作家さんに直接お話しを聞いたり、そういう思いで作ったんだなとか、そんな作り方もあるんだ!って発見があったりして。良い方法は取り入れてみたり、挑戦するようになりましたね。なんだかんだ、自分でやってみたものが1番良かったりするんです

欠かせない青と優しさ

——–作品をつくるときは、コンセプトなどを立ててから始めるのでしょうか

モノによりますが、基本は後付けが多いです。粘土でこねながら、この形いいなって模型を置いてみたりして形作っていって。海の視点とか、読んだ本から得た言葉を当てはめてみたり、普段生活している時に、漆を塗ったら可愛くなりそう!って思うモノに塗ってみたり。例えば、食器棚に入ってる時も可愛く見える、とか、そういうのが大事だなって感じるし、長く大切にされるようなモノを作りたいなって思います。僕は周りの人たちに恵まれていて、電球に塗ってみたらどうなるんだろうって考えていたら、空間演出を手掛けてる人に出会って、電球のサンプルをいっぱい送ってもらったり、色々な人たちの協力の上で制作していますね

——–卒業展示の作品「波折」はどのような過程で生まれたのですか?

この作品は、コンセプトを固めてから制作し始めました。青は外せないので、その中でも空よりも海の方が色々な青があって良いなと思って、「波折」という言葉を決めてから作り始めました

——–その言葉や作品にはどのような意味が込められているのですか?

「波折」という言葉は、ひとつひとつの波が重なる場所・現象という意味があるんです。青と波のそれぞれの良さやストーリー、感情とかを表現したくて。青なら優しい、冷たい、悲しい、寂しいとか。波にも痛々しい、荒々しい、力強い、でも優しいとか浄化してくれるとか。そう考えると色々なストーリーが出来上がるなと思って、一枚一枚違う漆、色合いの調合とか全部変えて、200枚くらい塗ったものを400枚〜500枚くらいに切って貼っています。基本的に同じものはなくて、全体を通して、波も青色も優しいよねっていうイメージに仕上げたつもりです。6〜7ヶ月ほどかかりましたが、自分らしい作品に仕上がったなと感じます

——–制作過程で難しかったことなどはありますか

漆は高いし、費用もかかるのでそこの配分も自分で考えながら作るのは難しかったですね。ただ、学校の設備が整っている今(在学中)だからこそ作れる大きな作品だったと思います。先生方がつきっきりで見てくれたり、仲間達も取り組んでいるし、この環境だからこそ自分も頑張ろうって思えました。やっぱり海のイメージもあるので、小さいものよりは、漆でもこんなに大きな物が作れるんだよって伝えたくて。漆の細かくて綺麗なイメージと対比がつくかなと思って、挑戦しました

——–作品制作の上での【こだわり】などはありますか?

やっぱり青は譲れないですね。こだわりって良くも悪くもありますが、僕は赤のものは作れないです笑。昔は高価な色だった青も今は顔料も出ているし、伝統的なものではないかもしれないけれど、作り方は一緒だし、古典的なものを作る良さももちろんあるけれど、それだけだと漆は消えていくんじゃないかなって感じていて。どちらかといえば、これって漆なの?!って思われるような作品ばかり作っています

——–なるほど。自分の中で大事にしている部分はありますか?

絶対に「優しさ」は大事にしていますね。人って優しさがないと生きていけないと思うし、バランスが崩れるんじゃないかなって感じます。思いやりとか、人間に大事なものがある方が作品自体にも寄り添ってもらえるかなって。素朴とか冷たさとか、寂しい感じがあっても、結局まとめたら、どこかしらに優しさを感じられるような作品作りを心がけています。でも、僕がそう感じるのは周りの人達のおかげだと思います。芸術は爆発なんだろ!とか、からかいながらも、作品を見に来てくれる野球部の時のメンバーや両親がいたり、その応援がなんだかんだ優しかったりするんですよね

——–今後の目標や理想などはありますか

自分の作るものだけで生活ができるようになりたいですね。アーティストって、大変そうとかマイナスに見られることも多いんですけど、そんなことないよって自分が見せられたらなって思います。ずっとものを作るだけじゃなくて、色々な人と関われる作家になれたら良いなって思っています。青いモノを見た時に、僕の名前が出てきてくれたら嬉しいですね。トップが集まる東京とかでも売れたり、いろんな展示会に呼ばれたりするくらいにはなりたいです。依頼をもらって、大きな沖縄らしい作品をどこかに飾ってもらったり、お店に自分の作品があったら嬉しいな

——–いずれは上京なども考えているのでしょうか?

やっぱり、沖縄がイイ!と思っていても出てみないと分からないので、少し興味はありますね。ただ、作品を見た県外の人に「沖縄の青だよね」ってよく言われるので、そういう色の部分にも沖縄が反映されてるんだなって感じます

——–これからの沖縄について考えることがあればお聞かせください

沖縄には移住者が多く住んでいるけれど、そういう人たちにもみんなが優しく接して、色々なつながりができる島になっていけばもっと盛り上がるんじゃないかなって思います。学力が低いとか悪い部分を直すよりも、個性を大切にしたり、伸び伸びと生きていける、自信を持って生活できる島になればいいなと感じます。僕の分野で言うと、伝統工芸品の価値を周りの友達と一緒になって高めていったり、特に漆の部分では、自分が力を入れて引っ張っていきたいですね。沖縄に来た時に、観光業じゃなくて、沖縄と言えばこれだよね!みたいな、質のいい工芸品を提供できたり、そういう形で貢献が出来たらいいなって思います。せっかく生まれた地元を寂しくさせる気はないので、盛り上げていきたいと思っています

私も何度か作品を見たことがありますが、郁弥さんが生み出す青色には「癒し」があるように感じます。それは、作品に込められた「優しさ」から溢れ出る新しい漆の楽しみ方なのかもしれません。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

−Reporter−
照屋綺恵/ Teruya Kie
沖縄県立芸術大学 三線演奏者