投稿日:2026.02.19

福地(ふくじ)ダムの魅力① -沖縄の水と知恵-

沖縄県が水を確保するためにどれほど苦労していたのか、沖縄に住む私たち若者ですら知らない人も多いと思います。
今回この記事シリーズでは、沖縄県内最大の貯水容量を誇る福地ダムを中心に、沖縄の水事情の歴史、福地ダム資料館、福地ダムと周辺の自然環境の魅力について、いくつかの記事に分けて紹介していきます!
 そこでまず福地ダムは沖縄の発展にどのような役割を果たしたのか、今回の記事で皆さんにお届けしたいと思います。

 現在沖縄で生活している私たちにとって、蛇口をひねれば綺麗な飲み水が出てくることは当たり前のことです。
 しかし一昔前の沖縄県では水不足問題が深刻であり、断水や節水が頻繁に行われていました。そのため現在でも、40年以上前に建てられた民家の屋上を見ると、貯水タンクが設置されています。わたしの祖父母の家にもありました。
 今では断水することはほとんどなくなりましたが、2025年11月の送水管破裂による大規模断水もあり、今こそ簡単に水を利用できる事へのありがたみを再認識すべきです。

 そこで今回は東村にある福地ダム資料館でも紹介されている沖縄県の水事情の歴史と、どのように水を確保していったのかを紹介します。

 まず戦前の沖縄の水事情を紹介します。
 ほとんどの家が天水と屋敷内の私有井戸を飲料水として使用していました。各家庭に必ず水瓶が5~6個常備され、比較的裕福な家庭では水タンクを設けていました。しかし干ばつが続き天水が欠乏した際には、人々は共同の井泉に水を求めて殺到したそうです。

出典:内閣府沖縄総合事務局ホームページ「沖縄の渇水情報」

沖縄県の水道の歴史は、1933(昭和8)年に那覇市の泊浄水場が完成し、各家庭に給水を開始したのが始まりとされています。

出典:(旧)那覇市ホームページ「②那覇市の水道の歴史」

しかし戦時中の1944(昭和19)年、10月10日の空襲で、水道施設も壊滅的な打撃を受けました。その後、戦後の復興とともに上水道は普及していきましたが、人口増加や生活環境の近代化に伴って水問題は依然として好転することもなく、昭和33年の長期干ばつ、昭和38年干ばつには断水が長期化しました。そのため緊急的な対策としてなんと鹿児島、神戸、大阪から船で水が運ばれてくることになったそうです。

 人口増加や生活環境の向上により供給が常要に追いつかず、水不足に悩まされてきたことから水資源の安定確保は最重要な課題でした。
復帰後も毎年のように給水制限を余儀なくされました。とりわけ、昭和56~57年の渇水は、復帰後例のない日20時間給水(昭和57年2~4月)で福地ダムの貯水率が32%までに低下し、そして給水制限は実に326日に及んだそうです。
 沖縄本島が豪雨に見舞われたのは57年5月の末です。これに加えて大きな力となったのが工事を急ぎ、湛水をはじめていた安波(あは)・普久川(ふんがわ)ダムでした。両ダムの貯まった水は調整水路を通じて福地ダムに流れていきました。こうして、沖縄の戦後最大の湯水は57年6月に水制限が解除されました。

 ここまで福地ダム資料館や資料で学んだ沖縄の水事情の歴史を紹介してみました。観光地でもある沖縄がこんなに水の確保に苦しんだ歴史があることを詳しく知り、あらためて衝撃でした。私たちは水が無いという状況を経験したことがないため、沖縄をより理解するため水不足の歴史を知っておくことは良い経験になると思います。

名桜大学国際観光産業学科大谷研究室 稲嶺盛将・西里幸之助・當間光希
参考資料
福地ダム資料館の資料
(旧)那覇市ホームページ「②那覇市の水道の歴史」
内閣府沖縄総合事務局ホームページ「沖縄の渇水情報」https://www.dc.ogb.go.jp/bousai/bousaijouhou/kassui.html
内閣府沖縄総合事務局北部ダム統合管理事務所「The ダム【福地ダム・新川ダム編】」