投稿日:2022.06.29

映画『ミラクルシティコザ』特集②-3名の新星俳優と映画と。

「ヒトを通してオキナワを知る」をコンセプトに
オキナワの感性の魅力を発信します。

映画『ミラクルシティコザ』特集①-コザから煌く、新生映画監督

みなさま、こんにちは。
大学生レポーターのテルヤキエです。
前回↑に引き続き、 映画「ミラクルシティコザ」についての特集をお届けします。
第二弾のゲストは、キャストの渡久地雅斗さん、山内和将さん、津波竜斗さんの3名と、監督の平一紘さんです。
キャストのみなさんは、読谷村を拠点として活動している「演撃戦隊ジャスプレッソ」のメンバーで、劇団を始めたきっかけ、映画出演に至る経緯など様々なお話を伺いました。

-Profile-
渡久地雅斗 / TOGUCHI MASATO
読谷村出身。琉球大学卒業。
演撃戦隊ジャスプレッソのリーダー。
ドラマー、過去の比嘉役。

山内和将 / YAMAUCHI KAZUMASA
読谷村出身。琉球大学入学。
ベーシスト、過去の辺土名役。

津波竜斗 / TSUHA RYUTO
読谷村出身。沖縄国際大学入学。
主演の桐谷健太が演じるハルの孫、翔太役。

『演撃戦隊ジャスプレッソ』
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『ミラクルシティコザ』 予告編
公式サイトはこちらから

自分と向き合い、演劇に出会う

——–みなさんが演劇を始めたきっかけを教えてください

山内 大学2年生の時に、自分の状況に疑問を感じていて。新しいことを始めようと3年生の時に受けた授業がきっかけでミュージカルを始めました。とても楽しくて、これだけに専念したいと思い、休学することにしました。その後、授業で知り合った雅斗に誘われて劇団に入りました

津波 高校3年生まで野球漬けの日々で、大学もなんとなく進学して。このままじゃ嫌だと思って、ふと、小学生の頃に目立ちがり屋で主人公になった自分を思い出したんです。そこから、大学を中退して、俳優を目指し始めました。メンバーは、みんな雅斗のスカウトで集まったんですけど、僕だけは、読谷で劇団ができたらしいよと噂を聞いて、直談判して入団しました

渡久地 僕は小さい頃、アマノジャクで。お出かけに連れて行ってもらっても、帰りには「楽しくなかった!」と叫ぶような子どもでした。そんな中、唯一楽しかったと言ったのが子どもミュージカルに参加した時らしくて。それをきっかけに、親が毎年参加させてくれて、舞台俳優になりたいと思うようになりました

——–渡久地さんが自分の劇団を結成したきっかけはなんだったのでしょうか?

渡久地 中学生の時に、(現在の)師匠がやっていたミュージックスクールに演劇を教えて欲しいと頼み込んだんですが、そんなコースは無いからと断られて。でも、3時間無言で居座っていたら、師匠が根負けして、条件つきで弟子入りを認めてくれたんです。「プロになれ、一生続ける覚悟があるなら演劇コースを作るよ」と言って僕のために作ってくれました。そこから、稽古を重ねて、中高生の時に現代版組踊で主演をして、大学休学中に受けたオーディションで、宮本亜門さんの舞台の主演に抜擢されたんです。そこで、今持っている能力を出し切ったというか、限界を超えた気がしていて。これ以上の表現ができないと悩んでいる時に、師匠から「その望みを叶えるためには自分の劇団を結成しなさい。舞台俳優として食べていくにはチームが必要だ」と助言をもらって、師匠の言葉と、自分の成長のためにメンバーをスカウトして劇団を結成しました

——–色々な背景があって、演劇を続けてきたと思いますが、みなさんの周りから反響や反対はあったのでしょうか?

山内 僕は、ミュージカルが楽しくて、休学4年間をやり尽くして中退しましたが、周りの友達は心配はしてなかったですね。ちょこっとされていたかもしれないけど。辞めた時点で25歳くらいで、舞台俳優をやってお金をもらえているわけではなかったけど、もうこれだけで良いかな、と思えるくらいなんか好きでした。メンバーも面白いし、バイトしながらどうにかなるだろうと、楽しみながずっと続けてきました

津波 ここで上手くやっていくしかない、あの頃の生活に戻りたくないという気持ちがあるので、大学を辞めた後悔はないです。ただ、先輩や周りの人には、心配されて夜中に呼び出されて怒られたり、笑われたりもしました。でも、それは売れたら全てひっくり返るんだろうなと。両親は思っていたよりすんなり受け入れてくれたんですが、目標を設定しろと言われて、27歳と言ったんです。そのなんとなく言った年齢が今なんですよね。オーディションを受けたりしてもダメで、でもなんの根拠もない自信だけでやってきて、そんな時に、劇団のことを知ってそれで今があるという感じです

渡久地 小さい頃から演劇をやってはいましたが、大学に入った時点で先生になろうと思ったこともあります。けれど、ある方に「上を目指そうとしない姿勢が良くない。小さな島でちっちゃくなって三線を弾いて死んでいくんだろうな」と言われたのがとても悔しくて。先生になることはやめて、卒業できる必要な単位だけとって役者の道に進むことを決めました

——–映画に出演するきっかけはなんですか?

渡久地 沖縄国際大学のCM作成の時に、丸坊主にしないといけない役で声をかけていただいて。思い切って丸坊主にして撮影に臨んだら、その姿勢を監督が買ってくたさったみたいで。そのあと、未完成大賞予告編の時に呼んでくれて、ほかのメンバーを紹介したのがきっかけです。そしたら、まさかの津波がメインキャストになり、大賞をとって全国公開になり、本当にシンデレラストーリーです!

撮影と向き合う、創り出す

——–実際にロケが始まる前の気持ちはどんな感じでしたか?

津波 クランクインの日は覚えているんですけど、前夜や1週間前のことは全く覚えてないですね、たぶん失神していました笑。寝ていないと思います。逆に緊張しすぎてサーッと引いて落ち着いていましたね

山内 僕は撮影の途中で降ろされたりしないかなと考えていました…笑

渡久地 緊張は全くなくて、何も感じていなかったですね。撮影の時は緊張できないタイプです

 シュミレーションしますね。こういう映画だから現場はこんな空気感で撮ったほうがいいよね、というのがあると思うので。みんなのポテンシャルが上がるように、監督も現場で雰囲気作りのための芝居をしますね。笑いやすくするように。俳優やスタッフが仕事しやすい空気づくりを考えていますね

——–ロケの中で大変だったこと、印象的だったシーンなどはありますか?

山内 楽器が弾けないのに、利き手じゃない左手で弾かないといけないのが大変でしたね。弾き具合が心配だったのに、本番は手元アップのライブシーンから始まってめっちゃ怖かったです

渡久地 撮影まではドラムのシーンが怖かったんですけど、思ったよりなんとかなりました。フェンスの前でニッキーさんと2人きりのシーンがとても印象的で、映像演技に不慣れな2人で持たせないといけないシーンだからね、と一紘さんにプレッシャーかけられていました笑。
あの場面で、比嘉がなぜ彼を許すのか、答えをもって行ったんですけど、「なんとなく」だったのかもしれないと思って、現場で感じたことをそのまま演じてみました

津波 朝の4時から夜の9時くらいの17時間ずっと撮られ続けたことですかね。目の前にずっとカメラがあって、何してもいいよと言われて携帯ゲームしたり、変なこと始めちゃったり。ロケ最終日で、みんなの撮影はもう終わっていて。しかもこの日は僕の誕生日で。監督には「竜斗のまんまで撮りたい」という考えがあったようなんですが、後々聞くと、時間の都合上カットにしてもいいんじゃないかと意見も出たそうで…監督が死守してくれたみたいです。笑

 前日に明日のロケ地が使えないとか、ハプニングもありましたが、全部大変だったけど、全部楽しかったです。映画のシーンでよかったことはいっぱいありますが、マーミーが踊っているシーンは、僕の思い描いていた映像が、俳優たちや撮影スタッフみんなが想像していた画と同じだった瞬間かな、と。空気感で、みんなでこういう画を作ろうと思って撮れたと思います。あとは、比嘉の暴徒の場面も、予想通り良いシーンになりました。この俳優たちなら、こういう芝居をしてくれるだろう、と作りたいと思ってあのシーンができたのは良かったです

——–沢山の素敵なシーンが生まれたと思いますが、撮影が終わったあとはどうでしたか?

 知らないおじいちゃんとかが映画を観て泣いているのをみたり、目の前でめっちゃ喜んでくれる子どもがいたりすると、これ以上、幸せなことはないなと。これから、どれだけ高い予算の映画を作っても、どんなにすごい人たちとやったとしても、この幸せを超えるものはないかもなと思うくらい良かったです。モチベーションにも繋がりましたし、観客を喜ばせるだけでなく、スタッフやキャストを次のステップに連れていかないといけないと本当に思いました。この映画があったから、次の仕事が決まったという人をまだ僕は知らないので、沖縄のキャストたちが、僕の映画に出たから次の仕事が決まる、というようなレベルにまだ達していないと思うと、次の一手を考える必要がありますね。喜んでもらえて嬉しいけれど、映画の僕の目的はまだ達成されていないです

夢と映画とこれから

——–みなさんの最終的な目標などがあれば教えてください

津波 このお仕事を始める前に、よく友達に、金髪女性と一緒にレッドカーペットを歩くのが目標と言っていたので、それは今も変わらないです笑。映画のことでいえば、昔から、銃が出て撃ち合うとか、そういうアクション映画が好きなので、そういうジャンルにも挑戦してみたいですね

 竜斗は体重増やしてムキムキのボクサー役とかやってほしいよね笑

津波 肉体改造するの面白そうですね笑

渡久地 僕は誰もみたことのない軽自動車に乗りたいです

津波 誰もみたことのない軽自動車???

渡久地 小回りきかないと運転できないから軽がいいです笑。ちゃんとした目標だと、劇団☆新感線の舞台にメインキャストで出るのが夢です

 僕はイタズラが好きなので、スタッフが帰ってくる時に合わせて事務所を破壊するとかやってみたいですね

山内 僕は前から言ってることがあるんですが…最初は沖縄、次に日本、最終的には世界の女性全員に惚れられたいです!真面目な方は…笑。もともと歌が好きでミュージカルを始めたので、歌で、沢山の人の心を動かせられるようになりたいです。基本、なんでも好きなんですけど、気持ちをゆっくり歌うようなバラード系が好きですね

——–ユーモアな目標があって素敵です!映画を通して伝えたい沖縄はありますか?

山内 もともと沖縄が大好きな人ではなくて、歴史とかもよく知らなかったけど、だからこそ映画を通して、沖縄にこういう時代があったんだなと知ってもらえたらいいなと思います。泣き笑いながら、観て頂けたら嬉しいですね

渡久地 映画を観て楽しんでもらうのが1番ではあるんですが、その片隅にでも沖縄のことを考えてくれたら嬉しいなと思います

津波 色々な人に観てもらって、ハイビスカス、シーサー、海、おばあちゃんとか「沖縄」といえばのイメージが全然ないこの映画をきっかけに、異文化のコザを知ってもらって、興味を持ってくれたらなと思います。沖縄といえば「コザ」になるくらい知名度が高くなって、ロケ地巡りとかできたらいいなと思います

 僕は、沖縄のため、コザのためにと思って撮ったわけではなくて、映画の世界に入りたくて撮ったので、普通に一本の映画として観てほしいですね。沖縄で撮られたとなると、どうしても沖縄映画のカテゴリに入ってしまうけれど、それに反発したい気持ちというか、日本で作られた一つの映画として、評価されて残っていってほしいです。たまたま沖縄で撮られた映画。そういう気持ちで作ったつもりです

——–10年後の皆さんが考える沖縄について教えてください

平 この映画を撮るまで、「コザ」という名前が未だに使われている理由を理解していなくて。行政区としてのコザはもう存在しないのに、あの楽しかった時代を忘れることができなくて、みんながまだ「コザ」と言ってるんですよね。だから、例えばこの街で、モノを売るブランディングをしたり、沖縄で売っているから面白い、自分がその街を歩いている姿を想像させられることが大切だなと思っています。もっと自分達の場所を大切にする。想像力豊かな人が先人を切っていってほしいですね。僕もクリエイターとして沖縄県を楽しませていきたいです。沖縄本来の美しさを含めて、過去の魅力を再発見することで観光のあり方を確立して欲しいなと思います

津覇 映画とかドラマとか、東京と沖縄ではだいぶ差があるので、沖縄がもっとエンタメの価値を高められたらいいなと思いますね

渡久地 沖縄のエンタメ業界でも僕は演劇、舞台が主なので、そのレベルを上げて、盛り上がっていけたらいいなと思います。役者のレベルもそうですし、観る人口も増えていてほしいと思います。例えば、劇場に出向いてくれる人が10年後に1万人とかになっていれば、舞台で生活が成り立つ人が増えていくし、映画を観に行こうか舞台を観に行こうか迷った人が、舞台に行こうと思えるくらい活気があってほしいと思います

山内 僕にはあまり沖縄で!という意思がなくて、都会への憧れが強いので、いい意味で変わらない沖縄であってほしいですね。良くならなければいけないこともあるけど、沖縄が東京みたいになったら意味がないと思うので、その魅力を残したまま、沖縄としてより良くなって欲しいです。東京へ行っても沖縄から来たんだ、という誇りがあるので。いつまでも誇れる沖縄であって欲しいです

 10年後に今と同じ考えだとダメだなと思いますね。来年、目標や価値観が変わっていてもいいと思うんです。エンタメはそういう仕事だと思うし、僕たちの、ここの中で出た満足度の高い結論も、話し合いや新しい人と付き合ったり別れたり、映画がヒットしたりしなかったり、色々な環境の変化で変わってくると思います。だから、さっきのごめん違った!と言える人でありたいですね。特に監督はそうでなければいけないと思います

インタビューを続ける中で、平監督の「映画の世界に入りたくて撮った」という言葉が私にはとても印象的でした。
「沖縄」のカテゴライズから脱し、全国、世界へと挑戦していく熱意は、3名の俳優のみなさんも同じ気持ちであると思います。想像の範囲内の出来事以上を求めて生まれる映画や舞台、芸術空間は、皆さんのすぐそばにあります。ぜひ、足を運んでみて、体感してみてください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

取材協力:Cafe Ocean

−Reporter−
照屋綺恵/ Teruya Kie
沖縄県立芸術大学 三線演奏者
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