浮島のミーグスク【元琉球王族、尚家が語る沖縄への想い】

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皆さんこんにちは。
今回は琉球王朝時代から旅人の無事を祈る遥拝の地・三重城(ミーグスク)のお話しをさせて頂きます。

今から約460年以上前、琉球王朝時代の那覇港は、異国貿易の中心地でありました。
その那覇港の沖合500メートルに築城されたのが、三重城(ミーグスク)です。
三重城は別称「王ヌ大比屋城(オヒヤ)」と言い、第二尚氏王統第四代尚清王の第八夫人となった、娘を持つ楚辺村の豪族「王農大親(オーヌウフヤ)」により建造されたと言われております。

城は那覇港から龍の尾のように伸びた堤の突端にあり、倭寇や海藩と言う海賊から琉球を護る要塞でありました。
また、「ニライカナイ(沖縄で信仰される東の海の彼方にある神界)」の方角に向けて建設された三重城は、旅立つ人の無事や、琉球に無事に帰国した人が神に感謝する遥拝の地でありました。

琉球貿易図屏風

現在の「三重城」は、片方の海を残して埋め立てられ、陸の一部になっていますが「琉球貿易図屏風」掲載の三重城には陸地と三重城の中間に沖宮と臨海寺がありました。
臨海寺は沖宮の別当寺で、昔この那覇の地は、浮島と呼ばれ四方が海に囲まれた島でありました。
その最西端に三重城があり、四つの長堤防によって浮島(那覇)と繋がっていました。
その途中に中城(ナカグスク)があり、さらに浮島側に行くと沖宮と臨海寺が海に浮かんでいたと伝えられています。

葛飾北斎「琉球八景」の一枚「臨海湖声(りんかいこせい)」

四方を海に囲まれた沖宮・臨海寺は、海に携わる関係者の尊崇を集めました。
葛飾北斎の「琉球八景」の一枚、「臨海湖声(りんかいこせい)」に当時の姿を見る事ができます。

倭寇・海藩の衰退とともに港防衛としての役割が薄れてきた三重城は、琉球舞踊「花風」に唄われるように、大切な人の船出を見送る岬として知られるようになりました。
沖縄戦にて沖宮・臨海寺は焼失し、戦後、臨海寺の鎮座地が米軍に接収されていたため現在地に移転再建され、また沖宮は通堂町に仮遷座、昭和50年に現在地に遷座しました。
現在では長堤砦であった往時の様子を見ることは出来ませんが、史蹟として残り「水神」や「五臓神」などの石碑があります。
三重城は、今も沖縄の人々に親しまれ、大切にされ、お参りの方が多くいらっしゃいます。

ミーグスクの神様にお参り

私も家族でお参りさせて頂きました。ぜひ来沖の際にはミーグスクの神様にお参り下さい。

筆者:尚 満喜(しょうまき)
1984年生まれ。
短大卒業後、神職資格を取得し、現在は東海地方にて神職として神社に奉職しながら
一般社団法人 琉球歴史文化継承振興会の副代表理事を務める。
趣味:音楽鑑賞・映画鑑賞
座右の銘:誠心誠意

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