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2020/06/30

書籍と巡る沖縄vol.1
「ミンサー織の夢を追いかけて
―新絹枝・哲次の歩んだ道」
小橋川順市 (著)

沖縄の」伝統工芸品であるミンサー織り。シンプルな柄でありながら「いつ(五)の世(四)もまでも末長く」という意味が込められています。愛する男性に女性が贈ったとも言われており、大切に守られてきた伝統が今も織物の中に息づいています。

「ミンサー織の夢を追いかけて」に登場する新絹枝さんは終戦後、沖縄が日本に復帰する間際ミンサー織の美しさに惹かれ、当時大繁盛していたお店をたたみ、ゼロからミンサー織の世界に飛び込まれます。伝統文化とはいえ、衰退の一途を辿っていたミンサー織。やるなら染めからだと染めを学び、織を学び、消えかかったミンサー火をその情熱で確固たるものに築き上げられました。

そこには新ご夫婦の確固たる絆が垣間見えます。絹枝さんが東京へ出て洋裁を学びたいと当時では考えられないことを相談された時も夫である哲次さんは村の人に後ろ指さされながらも絹枝さんを応援し、島で初めてとなるファッションショーを開催されるまでになります。

絹枝さんは島に子供を残してきた事や、様々な想いから昼と夜間の授業双方を受け通常の半分の期間で卒業されます。この情熱とひたむきさ、強さには尊敬の念を抱かずにはいられません。

ミンサー織を始められる際も哲次さんと絹枝さんは長い時間の話し合いの末、相手をしっかりと理解しあい、信頼しあって歩み始められました。新ご夫婦だからこそ「いつの世までも末長く」というミンサーの思いを後世に伝えられたのではないでしょうか。
今回は絹枝さんがご高齢のため、ご子息の賢次さんにインタビューさせていただきました。

「沖縄では定番のお土産!
でもミンサーって何!?」

こんにちは。今日はよろしくお願いします。
早速ですがミンサーってどんな織物なのですか?

ミンサーは綿の絣(かすり)の織物です。厚めのしっかりした生地で帯を織っていました。絣の歴史を辿れば時期や場所は定かではないですがインド、インダス文明にまで遡ることができます。シルクロードを通り、黒潮にのってその文化が沖縄に運ばれました。日本においてはその技術が沖縄から北上していったとも言われています。ですから沖縄は絣の入り口だったんですね。

ミンサーと似たような模様が東南アジアの織物にもみられますね。
沖縄の中でも様々なミンサー織の種類があるのですか?

そうですね。ミンサーには大きく分けて2つあり、絣織物のミンサーと花織のミンサーがあります。花織は糸を浮かせて作る技法です。
現在4種類のミンサーがあり、絣のミンサーは与那国ミンサーと八重山ミンサー、花織のミンサーは首里ミンサー、読谷山ミンサーとなっており、それぞれ織られている土地の名前が入っています。

沖縄でミンサーが大切にされた背景を聞かせてください

八重山のミンサーには絣に「五つ四つ」という意味合いが込められています。
それは「いつ(五)の世(四)までも末え長く」という織伝えられてきた思いが込められており、婚約の折に渡していたという言われがあります。それは母から子へ伝えられてきたものでもあり、八重山の風習を代表するようなモチーフにもなってきています。

「ミンサーができるまで」

一つ一つ手で織っていく作業。
織り上げられるまでにどれくらいの工程があるのですか?

一人前になるまで30年、30工程から織り上げられるミンサー織
ミンサー織で一人前の職人になるには10年、20年、30年と長い時間がかかります。ベテランの職人ですと40年続けられている方もおられます。30mを織り上げるのに2〜3日で仕上げてしまいます。皆さん織物が大好きな方ばかりです。
また、ミンサー織を仕上げるまでに30工程ほどあり、縦糸、横糸それぞれ染色し、糊付け、糸繰り、巻き取りをします。さらにたくさんの下準備を経て織は最後の工程になりますね。
100名以上でその作業を日々行なっており、それぞれチームに分かれて仕事をしています。その1つの過程のどれかがうまくいっていなくても美しい仕上がりになりません、全てがしっかりとできていてこその織物なのです。

島のものを大切に使い、島の雇用にも力をいれておられるように感じました。

はい。私たちは地場産業を基本としており、地域の雇用を生み出す使命があると思っています。創業が1971年で、この年というのは沖縄が日本に復帰する1年前なのですが、この時から「女性に職を」という思いがあり子供を育てながら家庭で仕事ができる事を大切に考えてきました。

家に織り機を置いて作業するのですか?

そうです。織り機といってもそんなに大きいものではないので家庭で仕事をしていただけます。この織の仕事は家でもできるため多くの女性が働いています。

新型コロナウィルスの影響で在宅ワークが盛んになりましたが、
その頃から取り組まれていたとは最先端ですね。

(笑)今の言葉で言えばリモートワークというのかもしれませんね。
現在も新規雇用で地域の若い方も入社され一人前を目指して日々鍛錬されています。
働いておられる方は地域の方が多く、30代、40代から始められる方も多くおられます。
一人前になるまで長い時間がかかりますので30代くらいから始められるといいですね。訓練の期間では3ヶ月で全ての工程を経験していただいています。自分でやっていかないといけない仕事ですし、根気のいる仕事ですがみなさん長く続けておられます。

藍染めの原料にも琉球藍(りゅうきゅうあい)という、
沖縄で収穫される藍を使っていらっしゃるのですよね?

八重山でも島藍(しまあい)と呼んでいるナンバンコマツナギという八重山固有の植物から染めるものもありますが、40〜50年琉球藍を使っています。

琉球藍と島藍は違うものなのですか?

はい。琉球藍と島藍は植物の種類が違います。琉球藍も日本の本土の藍と違い、沖縄固有の植物です。

「新さん、ミンサーの魅力を感じた20代」

藍染が基本とされるミンサー。商品開発の為、他の染料を使いカラフルに染色することに。伝統に新しさを加える勇気や周囲の反応について聞かせてください。

当時は価値観の交錯があったと先代から聞いております。やはり批判される方もいらっしゃいました。「ミンサー帯は藍染でないといけない」という「化学染料は伝統文化を壊す」というものでした。でも一方で支持してくださる方もいらっしゃいました。実際消費者の中に藍色一色ではなく赤や黄色など明るい色が欲しいという声があったのです。

伝統を守るということは日常で使えるものを生み出すことだ
伝統を守りながら生活の中で使えるものを生み出すことは良いことだと応援してくださる方と一緒に頑張ってきたと聞いています。当時、白黒のテレビからカラーテレビに変わったころだった為、こうした色への消費者の欲求との相乗効果もあったと思います。

求められた二次加工品
袋物から始まり、財布やバッグが好まれました。こうした二次加工品を作るためにもともと帯の幅しかなかったミンサーを広幅織物に変化もさせました。

ピンチがチャンス
父と母は常に「ピンチがチャンス」とゴワゴワした硬いミンサーを加工できる布に変え、布幅を変え、染色技法にもチャレンジしてきました。子供の頃から常に新しいことにチャレンジしている親をそばで見ていたのもあり、ミンサーへの興味が自分自身にも湧いてきたのだと思います。

新さんが23〜4歳ごろに家業に魅力を感じたお気持ちを聞かせてください

このミンサーという伝統とビジネスを掛け合わせていくという所に面白みを感じました。
五つ四つという伝統は今も大切にし、この思いを守りながらも、さらに生活の中で使いやすいもの、皆さんにたくさん使って頂きたいという思いで「守るものは守ってさらにチャレンジしていく」。伝統を守るには現在において使えるものを作り出し、生活の中で使えるということが大切なのです。それを伝統にプラスしていく。このことが大切なではないかと思い、昔も今も日々精進しています。

「ミンサーの転機、沖縄サミット!」

かりゆしウェア

2000年に沖縄サミットがあり、その時に沖縄の夏のウェアに「かりゆしウェア」名前が付き、シャツにミンサーを用いるようになると、政治家の方を始め、一般の方にも広く認知される様になりました。分厚めの帯と同じ生地で作っていたバックや織物と違い、シャツは薄手の柔らかな生地を織ります。これも元々のミンサー織にはなかったことです。
伝統は大切にしながら帯以外の「日常の中で使えるものを作る」という物作りの大切さを感じました。不易流行(いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと)という概念がありますが、その通りだなと思いましたね。

最近ではミンサー帯は浴衣にも人気だと聞きます

はい。着物とも合わせますが最近は特に浴衣の帯に男女ともに人気です。
地元の伝統的な豊年祭では昔からのミンサー帯を用います。
縁起のいい柄なので結婚式で着用される方もいたり、お祝い事の時にはミンサー帯をつけて踊ったりもします。一家に一本ミンサーの帯があります。島の文化としても欠かせないものですね。

※あざみ屋パルコシティ店で琉球大学生が浴衣を着て写真を取りました

「最近のミンサー事情」

続々と発売されるミンサー商品。お客様はどのような方が多いですか?

そうですね、地元の方、観光の方が半分半分くらいです。お土産としても楽しんでいただけるような商品づくりもしています。コースターやプレイスマット、カメラストラップもありますよ。もちろんかりゆしウェアも豊富に取り揃えています。最近ミンサー織のマスクも作りました。

マスクのご購入はこちらから

縁起がいいとされているミンサー織、今一押しの商品を教えてください。

最近金糸を使った名刺入れを作りました。キラキラとしてゴージャスな作りになっています。オリンピックも近いので開発しました。
金以外は絹糸でできている一押しの商品です。光の当たる角度によってキラキラと見え、とても美しい商品です。

石垣に行ったらぜひ工芸館に遊びに行きたいです

みんさー工芸館ではコースターを織る体験ができるコーナーや工房を見学していただけます。石垣に来られた時にはぜひお立ち寄りください。

最後に
「ミンサー織の夢を追いかけて」は絹代さんが一心にご自身が信じた道を進み、自身の思いに言い訳なく真っ直ぐやり抜いていかれる姿が描かれていました。

絹代さんのパワーには圧倒されるものがあり、物事への純真さと熱意で自ら開いていく世界の素晴らしさを共に体験させていただいたかのようでした。

賢次さんの仰る「伝統を守りながら生活に使えることが大切」という言葉は、伝統というものをどこか生活と切り離して考えていた自分に気づき、同時に今の生活の中で伝統を感じ、守り伝えていけるのだと感じました。生活の中に伝統がある事は、昔からの思いに守られているような穏やかな時間を感じられるのではないでしょうか。

歴史あるミンサー織。沖縄の大地で育った藍を感じ、チャレンジの化学染料に勇気づけられ、試行錯誤の中、チームワークで生まれてきた数々のミンサー商品。是非その中に息づく美しく強思いを感じて頂きたいと思います。

聞き手:中村 久美子

店舗情報

みんさー工芸館

みんさー織の歴史や制作工程、現代の作品を展示する資料室のほか、手織り体験、かりゆしウェアなどの製品販売も行なっています。八重山の伝統工芸品「八重山みんさー織」を中心に、八重山上布やぐんぼうなど、織物文化を守り未来に伝えるべく制作活動をしています。また、オンラインショップにて商品をお買い求めいただけます。

住所:〒907-0004 沖縄県石垣市字登野城 909

電話:0980-82-3473

HP:http://www.minsah.co.jp/