投稿日:2021.09.21

Uchina−アーティシズム#1 今を輝く。挑戦の琉球舞踊家①

「ヒトを通してオキナワを知る」をコンセプトに
オキナワの感性の魅力を発信します。

みなさま、こんにちは。
大学生レポーターのテルヤキエです。
色々と不自由な生活が続いていますが、元気の出る記事をお届けできればと思います。
今年度もよろしくお願いいたします。
さて、今回ご紹介するのは琉球舞踊家の西村綾織さんです。
様々なことにチャレンジし続けるその姿を取材してきました。

-Profile-
西村綾織 / Nishimura Ayano
琉球舞踊家 玉城流喜納喜利の会 師範
南城市佐敷出身
母が師匠であり、幼い頃から稽古を重ねる。
知念高校に進学し、なぎなた部ではインターハイ優勝。
その後、沖縄県立芸術大学、大学院へと進学。
卒業後は国内にとどまらず、海外公演などにも多数出演。
現在二児の母で、ミセスオブザイヤー2021沖縄大会のグランプリ受賞。
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なんと…すごい経歴の持ち主でした…
私の大学の大先輩でもある西村綾織さん。
3歳の時に初舞台を経験し、大学進学後は琉球芸能が好きな仲間たちに囲まれて、より専門的に琉球舞踊を学ぶようになります。
その後、組踊を主専攻に切替え、人間国宝に認定されている宮城能鳳先生からご指導を受けながら、組踊の立方としても学びを深めていきました。
充実した学生生活を送ったあと、卒業後はカフェでアルバイトをすることに。
そんな時、あるきっかけが訪れます。

海外公演での経験

—- 卒業後はアルバイトをしながら芸能活動をしていたのですか?
「そうですね。海が見える綺麗なカフェで採用が決まった翌日に、2週間の海外公演のオファーがきたんです。採用された直後に海外へ行くなんてもう辞めなきゃいけないんだろうなって思ってたんですが、社長に事情を説明したら、行ってきたらいいさ!って背中を押してもらえて。その言葉に助けられて、カフェを続けながら芸能活動ができたんです。あの時のことはとても感謝していますね」
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芸能活動とアルバイトの両立は難しいことが多いなか、理解ある社長や周りのスタッフに支えられながら芸能活動に励んでいった西村さん。
その後も色々な国で公演活動を続けていきますが、そこでは大失敗した経験も…?

—- ちなみに、1番印象に残っている舞台はありますか?

「そうですね…印象といいますか、大失敗を経験した舞台があります…笑。音楽劇の作品で韓国公演に出演したことがあって。最後のフィナーレの場面で笛を吹いていたらバランスを崩して、背伸びしたままクルッと一回転してしまったんです。そしたら、打楽器とかを置いているところに転んでしまって…。そこで使っていた、波の音を再現する小さな弾がいっぱい入った箱をガシャーンとぶちまけた経験があります…とりあえず、何事もなかったかのようにニコニコしてはけていったんだけど、あれは一生忘れられない大失敗です…」
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海外公演でのまさかの体験を苦笑いしながら話してくださいましたが、その瞬間は相当ヒヤッとしたに違いありません。。
そんな西村さんがもうひとつ “忘れられない公演” と話してくれたのは、タンザニアで行った琉球舞踊公演での出来事でした。

—- もうひとつ忘れられない公演とはなんですか?

「タンザニアでの公演です。民族って感じのカラフルな服を着た人たちがお客さんだったんですけど、フィナーレで舞台から降りてカチャーシーを踊っていたら黒人の子供たちがワーっとたくさん集まってきたんです。そしたら、カチャーシーではないんですけど、音楽にのせて、そこの現地の人たちが持つ独特なリズム感で踊り出したんです。なんだか体の中からDNAが滲み出てきて、それを体いっぱいで表現しているようで。その姿に感動してしまって、気づいたら私は涙しながらカチャーシーしていたんです。そのことが今でも忘れられないんですよね」

—- 言葉が違う国の人達と、音楽と踊りを通してつながりを感じられた瞬間だったんですね

「そうですね。だから、沖縄の子どもたちも、沖縄の音楽が鳴った時に楽しく踊れる子どもがどんどん増えて欲しいなって思います。それが、保育園での指導だったり、キッズ琉舞など今の活動にもつながっていると思います。もちろん、伝統の継承も大切だと思うんですけど、原点とか1番最初って入りやすかったり、身近なほうがいいのかなって思っていて。それを小さい頃からやっていくと、その時の体験って記憶に残りやすいんじゃないかなと思うんです」
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海外公演での経験が現在の活動のきっかけとなった西村さん。現在は、キッズ琉舞を開催し、子どもたちに琉球舞踊の楽しさを伝える活動をしています。

芸能活動が中心の生活を送ってきた西村さんにとって、琉球舞踊とはどのようなものなのでしょうか。

琉球舞踊との関わり

—- 西村さんの中で、琉球舞踊はどういう立ち位置にあるんでしょうか?

「無かったらどうなっていたんだろうと思うほど、もう自分の一部になっていますね。ここまできたからには楽しみながら伝えていくこと、自分ができることは限られているかもしれないけれど全部伝えていきたいですね

—- 楽しみながら、って素敵ですね

「そうですね。もちろん、楽しい中でも苦労があるし、今でもあります。琉球舞踊は、深く学べば学ぶほど完成がないんですよね。だから、楽しみながらじゃないと続かないと思うんです」

芸能生活におけるスランプ

—- やはり、上手くいかない時期もあったのでしょうか?

「そうですね。これは女性ならではかと思うのですが、出産したときは大変でしたね。ギリギリまで活動はしていましたが、生まれたら子育てが始まるので、踊りたくても踊れないという状況が続いていました」

—- どうやってその状況を改善したのですか?

「普通の生活が子育てだけだと、本当に鬱になりかけるくらい大変でした。幸い、両家がとても理解があったので、家族に支えられて踊りを続けていました。子育てから少し離れて自分に集中することができましたし、周りも一緒に育てるほうが子どもにとってもいいのではないかなと思いますね」
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出産育児と自分のやりたいことをどう両立していくのか、多くの女性が直面する現実でもあります。そこで、必要不可欠となるのは家族の支えです。大切なのは、周りの大人も交えて子どもたちを育てることで変えられる問題もあるということなのです。

西村さんの記事は次回、後編へ続きます。
さらなる魅力について紹介していきますので、ぜひご覧ください。